9 05, 2002
Grandfather's Clock

平井賢が出している New Single "大きな古時計" がすごいヒットしてます。この手のカバーとしては異例のいきなり初登場チャート1位です。 朝、まだまどろんでいるときにこの曲がラジオから流れてくると、なんとも言えない優しい気分になります。歌詞の内容は happy なものでは決してないのに、なんだか懐かしくなる、動いている手を止めて聞き入ってしまう不思議な魅力がある歌です。寂しいような、悲しいような、でも聞いていて落ち着くような、ノスタルジーさえ感じる なんとも説明しがたい気分になりませんか。



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知っている人も多いかと思いますが、実はこの歌、アメリカ民謡なんです。2001年の夏だったかそれよりちょっと前に、平井賢が NHK の番組で "思い出の曲"のルーツを辿ったときに、それを知りました。そのときまで、大きなのっぽの古時計 は日本の童謡(っていうのかな)だとばかり思い込んでいた私には結構衝撃でした。アメリカの田舎にある作曲者の自宅を訪ねると、モデルになった大きな古時計はまだ実在していて、子孫が大切に保管しているそうです。もう動いていない、古びた色の時計がホントにあるんですね。 この歌に対する感覚がまた変わりました。

平井賢はこの歌が本当に好きで、毎回ライブで歌うそうです。今度 MTV Unplugged に出るときにも、歌う予定なんだそうな。ここで気になるのが、日本語で歌うか、英語で歌うかってこと。(彼も迷っていると聞いたけど) なぜならそれは、英語の原詞と、日本語の歌詞の持つニュアンスが違うからです。原詞では、おじいさんと時計の「死」から始まり、それまでの人生を振り返りながら結構現実的に表現しているのに対し、日本語のほうは、おじいさんと古時計がまるで一体となって人生を歩んでいるように描き、言葉のニュアンスも優しい表現になっています。原詞から比べると、抽象的なんでしょうね。 どちらがいいかという優劣の問題では全くなく、それぞれの言葉によって与える印象がこんなに違うんだなと感慨に浸っています。

違うと言えば、決定的に違うのはおじいさんの年齢(寿命)。 原曲では90歳。
日本語訳の100歳は歌いやすさと語感を大切にした訳者の力量なんでしょうね。(次に引用する、ある翻訳者のコメントもおもしろいので読んでみて)

以前平井賢はアメリカの番組で英詞で Grandfather's Clock を歌ったので、今回は日本語でもいいのかなと思ったり。でも Unplugged だから原曲なのかなとも思ったり。

こんなことを考えながら、ここのところ毎日 おおーきなのっぽの古時計ー♪ と口ずさんでいます。やっぱりいいなあ、この歌。

せっかくなので 英語の原詞と日本語詞を比較。










Grandfather's Clock
Written By: Henry C. Work (1876)

大きな古時計
日本語訳:保富康午

My grandfather's clock was to large for the shelf,
So it stood ninety years on the floor;
It was taller by half than the old man himself,
Though it weighed not a pennyweight more.
It was bought on the morn of the day that he was born,
And was always his treasure and pride.
But it stopp'd short, Never to go again,
When the old man died..

Chorus
Ninety years without slumbering
Tick, tock, tick, tock,
His life seconds numbering,
Tick, tock, tick, tock
It stopp'd short, Never to go again
When the old man died.

In watching its pendulum swing to and fro,
Many hours had he spent while a boy;
And in childhood and manhood the clock seemed to know,
And to share both his grief and his joy.
For it struck twenty-four when he entered the door,
With a blooming and beautiful bride.
But it stopp'd short, Never to go again,
When the old man died..

My grandfather said, that of those he could hire,
Not a servant so faithful he found:
For it wasted no time, and had but one desire,
At the close of each week to be wound.
And it kept in its place, not a frown upon its face,
And its hands never hung by its side;
But it stopp'd short, Never to go again,
When the old man died..

It rang an alarm in the dead of the night,
And alarm that for years had been dumb;
And we know that his spirit was pluming its flight,
That his hour of departure had come.
Still the clock kept the time, with a soft muffled chime,
As we silently stood by his side;
But it stopp'd short, Never to go again,
When the old man died..


大きなのっぽの古時計 おじいさんの時計
百年いつも動いていた 御自慢の時計さ
おじいさんのうまれた朝に 買ってきた時計さ
今はもう動かない その時計

百年休まずにチクタクチクタク
おじいさんと一緒にチクタクチクタク
今はもう動かない その時計

何でも知ってる古時計 おじいさんの時計
綺麗な花嫁やってきた その日も動いてた
嬉しい事も悲しい事も みな知ってる時計さ
今はもう動かない その時計

百年休まずにチクタクチクタク
おじいさんと一緒にチクタクチクタク
今はもう動かない その時計

真夜中にベルが鳴った おじいさんの時計
お別れの時が来たのを 皆に教えたのさ
天国へ昇るおじいさん 時計ともお別れ
今はもう動かない その時計

百年休まずにチクタクチクタク
おじいさんと一緒にチクタクチクタク
今はもう動かない その時計


Posted by mica at 木. 9 5, 2002 2:42 | Comments (10)
Comments

松本MOCOさんのコメントより引用
******************************************************************
私達が知っている歌詞は「百年いつもうごいていたご自慢の時計さ」となっている。昭和の30年代にNHKの「みんなのうた」で広まった歌で、日本語の詞は保富庚午という人とされています。この訳詞がよく見るとすごいんだな、これが。

一応歌詞の内容はアメリカで歌われているものと大差ないのだけれど、あからさまに違う点があるのです。それは、アメリカ版では「90年ずっとうごいていた」となっている点です。それを思いきって「百年」とやった。ここまではまあ、よくやる手段かもしれませんね。

ところがさらにすごいのが、アメリカ版では「いまはもううごかないその時計」の部分で、「90年間、おじいさんが亡くなるまで動いていた」となっているんです。ここが肝心。

日本語ではおじいさんがなくなったときに時計がとまった、あの、劇的なクライマックスは3番までは明らかにされていません。ところがアメリカ版ではもうその事実は1番の時点でわかってしまうのです。これは曲のドラマ性をもりたてるのにとっても重要な点。日本人であるあたしたちは、やっぱりなんだか3番まで歌わないとこの歌を歌った気になりませんよねえ。それはこの3番の「真夜中にベルが鳴ったおじいさんの時計、お別れの時がきたのを皆に教えたのさ」この一節が絶対的にこの曲の悲しさと美しさを支配しているのを知っているなんですよね。1番と2番のしあわせな情景に伏線として「いまはもううごかないその時計」があって、その種明かしとして3番がある。これがこの訳詞のにくいところです。

最近縁あってビートルズの曲のひとつに日本語詞をつける仕事をしたのだけれど、訳詞は無理でした。それは原曲の詞のすごさを伝えきれないものだし、日本語にしてしまうと原詞の裏側にあるものを抹殺してしまうような気がして、結局オリジナル詞をつける形になってしまいました。この「大きな古時計」の訳詞などを見せつけられるとなかなか落ち込みますね。これはなかなかのすごい仕事です。

Posted by: mica on 木. 9 5, 2002 2:42

いいよねー。古時計の歌。私も大好きです。今度平井さんはこの歌で米国のMTVにでるとかいってたと思います。

Posted by: ks on 木. 9 5, 2002 2:42

シングルで出たんですね。←世間知らず?

数ヶ月前テレビで(NHK?)、平井賢が歌のモデルになった実際の時計を見に行き、その家のご家族と親睦を深め、教会で聖歌隊と一緒に「大きな古時計」を歌ったドキュメンタリーを見ました。

平井賢は本当に本当に「大きな古時計」が好きなんだな〜、と感心してしまいました。

Posted by: momo on 木. 9 5, 2002 2:42

どこかの待合スペースで流れてきても、街中で聞こえてきても思わず口ずさんでしまう。 私もこの歌が好きなんだなと思いました。

今度MTV Unplugged に出て、大きな古時計も歌うので、見逃しちゃだめよ。

Posted by: mica on 木. 9 5, 2002 2:42

通りがかりのものですが。この歌のモデルの話ですが、ちょっと微妙ところがあります。googleで検索してみると、モデルになったのはイギリスのホテルにおいてあったモノ、という説を紹介しているところがほとんどなんです。アメリカ説というのはほとんどないんですよ。NHKはどこから情報を見つけたんだろうというのが疑問で、いろいろ調べていて、ここを見つけたんですけど。
あたりに詳しい情報がありますよ。

Posted by: 石井 on 木. 9 5, 2002 2:42

URLが消えちゃったので書いておきます。
www.worldfolksong.comあたりに詳しい情報があります。

Posted by: 石井 on 木. 9 5, 2002 2:42

へえ、そうなんですか。おもしろいですね。
コメントと情報ありがとうございます。 見てみます。

大きな古時計に関しては、いろいろな方が調べていますよね。
あの切なくて美しい歌を生んだのはどこなのか、なんなのか。

NHKの情報ソースがどこなのか、確かに知りたいところです。

Posted by: mica on 木. 9 5, 2002 2:42

私は英会話講師をしていて、カラオケで英語を歌おう、という授業におじいさんの古時計の英語版の方を授業で使っています。
そこで疑問が。。。。真夜中にベルがなった。。。のくだりの英語版では、his spirit was pluming for flight になっていますが、このplumは、plumbing の間違いでしょうか。平井賢は、プラミン(カタカナでごめんなさい)と歌っていますが、そう発音するのはこの単語です。もしpluming の方なら、原型がplume で、プルーム(またカタカナ発音です)と発音しないといけません。ちなみに前の意味は、垂直にまっすぐするとかいう意味になり、後者は羽をつけるです。色んな英語のサイトでみると今のところ半々で歌詞が載っています。どなたかご存知の方、教えていただけないでしょうか。
悩める英語講師より

Posted by: yayoi suzuki on 木. 9 5, 2002 2:42

yoyogi suzukiさんへ

plumingfor flightはおじいさんが天使になって天に帰っていくイメージ、または冬の水鳥たちが渡りの前に羽繕いをする、ということがかかれています。ここではおじいさんが天国に向かって羽ばたくために羽の手入れをしている、と解釈すべきでしょう。

Posted by: Shotaro Itoh on 木. 9 5, 2002 2:42

this is the first song i have hear since i leanr japanese. my teacher seems like it very much. and we are too.

Posted by: david copperfield on 木. 9 5, 2002 2:42
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